「人間の心や意識を作り出す最大の臓器は脳である。そして神経細胞の固まりである脳の機能の分子レベル、生理レベルと、計算機科学的な解明こそ、人間精神の解明になる」 これが、現在の脳科学のテーマである。ここには霊などはいる余地がないように見える。脳死が人の死と考えるのはこのためだ。
 しかし霊魂至上主義者たちは違う。彼らは霊が人間精神の中心だと考えている。現在知られている脳神経系や生理システムよりも素晴らしい知覚能力や想像力が霊にあると考えている。脳は精神にとって副次的なものに過ぎないと考えている。すると、脳死は人の死だと言えないのではないか。また、霊魂が脳とのみ連結しているとは限らないのではないかという疑問が起こる。事実、そう考える人々もいるのである。
 霊魂(または似たような概念)の支持者にとって、臓器移植は奇妙な問題を投げかける。心臓や肺を始めとする重要な臓器をドナー(提供者)からレシピエント(受容者)に移植した場合、霊魂はどちらに付くのだろうか。それとも、魂も融合して、キメラになるのだろうか。もしそうなら、そもそも魂には個体性がないのか。死んだ後は、キメラ魂のままで転生するのか。馬鹿げた疑問が次々と起こってくる。


◎1998年8月△日 クレア・シルヴィア&ウィリアム・ノヴァック(1998)『記憶する心臓』 東京 : 角川書店.
 あまり行かない少し大きな書店で見つけたので、買ってきた。『ドリーム・テレパシー』には、ハッキリとした話がなく面白くなかったので、変な話を期待して読んだ。表題を見た最初の印象から思い出したのは、ジェフリー・アイバーソン『死後の生』の話にあった、死んだ他人の人格が、似た時刻に死にかけた別の人間に乗り移ったというインドの例だ。この話が本当ならびっくり仰天といった話だが、インドの寒村の話だから、信憑性はいまいち低いと感じた。
 内容は心肺移植をした著者に、心肺の提供者ドナーの人格とか嗜好が伝達されたという話である。また、夢でドナーの名前を当てている。あるとき、夢の中でドナーらしき男性の死ぬ少し前の風景らしき夢を見たのだ。まあ、不思議と言えば不思議だが、無茶苦茶ふしぎというわけでもない。
 本書の構成は彼女の半生記といった感じで、退屈だ。彼女は親の性格を受け継いだのか、性格がきつく、人との折り合いがしばしば悪くなっているという印象を受ける。そして、やたら男を変えるのでびっくりした。
 だが、こんなどうでもいい情報に混じって、幾つか重要な情報もある。たとえば、もともと霊感のようなものが強かったらしいとか。オカルト的な異端の医学(代替医療というやつ)に親和的だったとか。
 また、少女時代にヒステリー気味の母親に育てられて「あまり幸せとはいえない子供時代」を送ったことが書いてある。このような家族との間の不幸な子供時代は、その後の臨死体験と関係があることがケネス・リングの調査で分かっている。心臓移植をする人間は多いにもかかわらず、記憶と性格が明確に転移したという話はあまり聞かない。彼女だけがこのような体験をしたのも関係があるのかもしれない。はっきり言えば、彼女は霊媒なのだろう。
 最後のほうは自分と同じような例、つまりドナーに嗜好や行動が近くなった例の伝聞を多く書いている。これには骨髄移植や生体腎臓移植やドミノ心臓移植のように、ドナーが生きている場合の例も多くある。ドミノ移植とは脳死者Aから心臓と肺を、肺の悪い人Bに移植する。肺だけでは手術が難しいからだ。そして余ったBの健康な心臓を心臓病の人Cに移植する。この場合、心臓の提供者Bは生きているのだ。しかし、やはり性格や嗜好などがBからCへ転移する(と書いてある)。これらの例が本当なら、単純な「霊魂」説では矛盾が起こる。むしろ、題のように臓器が元の持ち主の特徴を記憶しているという仮説のほうが納得いく。とはいえ、著者は初めからオカルト的な考えをもっているから、思いこみや誇張かも。最後の章でも紹介されているが、内臓が霊魂を引き連れてくるという説ではなく、せいぜいESP、特にサイコメトリーを仮定すれば済むことのような気がする。
 それに、移植後、好みが変わったのは、心臓や肺を提供したドナーの「霊魂」のせいだというのが本書の主題だが、これもそう軽々しく断定できるのだろうか? 肺と心臓を、性も年齢も違った人の物と変えたのだから、より活動的になって当然だし、それにともなって嗜好や行動が違ってきても当然だ。また肺や心臓からは少なからぬホルモンが出ているから、その個人差が表れたのかもしれない。さらに免疫抑制剤やら抗生物質やら、薬をどっさり飲むと書いてあるのだから、副作用で嗜好や行動などに変化が出て当然だ。腎臓などの移植の例でも同じ事で、全体的に対抗仮説に対する配慮がまったくなく、オカルト的視点で貫かれている。夢のこじつけ的精神分析もてんこ盛りだ。批判的な科学者を全然納得させられないのではないかという感じがする。

(追記)9月6日午後7時56分からの日本テレビ系『特命リサーチ200X!』で、この移植による記憶の転移が取り上げられていた。この番組ではオカルトではなく、ホルモン説や心理説を主に取り上げている。菜食主義者だった患者が油っこい物が好きになったことをホルモン説から明快に説明していたが、これは当にクレアが、フライドチキンが好きになったことを思い出させる(これだけでは名前の的中などは説明できないが)。
(終わり)


 心臓には多くの神経細胞があるから、それがドナーからレシビエントに記憶をもたらすのだという「常識的な説明」をたまに聞く。しかし、心臓の神経が名前や趣味を覚えているのだろうか。そもそも、心臓移植では血管はつなぐが神経はつながないはずだ。仮に心臓の神経が何か覚えていても、どうやって脳につたえるのだろうか。ホルモンか、心拍でモールス信号でも送るのだろうか。

○2002年4月2×日 ポール・ピアソール『心臓の暗号』角川書店
 前に採り上げた類書『記憶する心臓』の中に、この本の出版と翻訳の予定が書いてあったので、以前から是非読みたいと思っていた。出版されているのを知らなかったため、邦訳3年程度経った時点で手に入れた。
 内容は心臓至上主義の超心理学本である。心臓は魂の中心であり、太陽である。脳はそれを回る地球に過ぎないと論じる。心臓は暖かく協調的で、辛抱強く穏和、対して脳は競争的、利己的、攻撃的で外界に対して猜疑心に溢れており、常に他者を支配したいと望んでいると説く。要は「心臓は善、脳は悪」と言うわけである。
 著者の重要な論拠として、心臓移植をすると心臓の本来の持ち主の記憶や性格、思考などが移植者に移る例を多く挙げている。これは前に論評した『記憶する心臓』に述べられているような事例である。そして、簡略化してしまえば、本来の持ち主のLエネルギーが心臓にくっついてきて新しい持ち主に移ったという考えである。売春をしていた女性の心臓を移植された貞淑な妻が淫乱になったという事例も書いてある。心臓移植以外の移植でも程度の差こそあれ、記憶や性格が移転するらしい。当然ながら、心臓の持ち主の記憶や性格のごく一部しか移転せず、限定的である。さらに言えば、移植をすれば必ず記憶が転移するわけではない。明確には書いてないが、どうも少数派らしい。この現象に対して、著者独自の心臓理論と絡めて論じているが、なんだか都合のいい例だけを論じているような印象を受ける。これらは著者の心臓至上主義の理論に深刻な疑問を投げかける。前に『記憶する心臓』の時も述べたが、この現象はなにやらサイコメトリーに似ている。特にドミノ移植の体験例はそうだ。だが本書にはサイコメトリーという言葉やテレパシーという言葉はほとんど出てこない。代わりにLエネルギーという言葉が頻発していて、似た意味で使っている。これは、よく分からない物を、新しいよく分からない言葉で置き換えた典型例である。
 また著者は、人間の感じることのできる自らの心臓が発する囁きの例を幾つもあげ、心臓の重要性を説いている。しかしこの「心臓のアドバイス」は、多くの体験談に出てくる「守護霊」や「祖先の霊」の警告にそっくりなのだ。また精神分析学者や心理学者なら「無意識」の働きだとしてしまいかねない事例である。なぜ「心臓」の声だと断言できるのだろうか。それは著者が「守護霊」や「生まれ変わり」の研究者ではなく、「エネルギー心臓学」の研究者だからに過ぎない。よく分からないおかしな現象をすべて「心臓」の啓示だとしているのである。
 その他、超心理学者にありがちな、物理学からさまざまな心理学者や哲学者の言葉、古代や東洋の英知までごった煮になったオカルティックな理論が大量に並んでおり、うんざりさせられる。要点は第五のエネルギー(「第五の力」と混同している思われる用語)としてのLエネルギーが存在し、それは生体の情報を光よりも早く伝え、非局在的で世界に偏在しているものであるということだ。まさに「無限ちからのイデオン」を連想させられる。なぜLエネルギーがそんな不思議な性質を持っていることが分かったかと言えば、心臓移植患者やヒーラーの言い分を集めるとこういう結論になったそうだ。まさに守護霊を語る霊能者の言葉のような、証拠の重みである。ちなみにLエネルギーを語る多くの体験談には「エネルギー」よりも「霊」という言葉のほうが良く当てはまるように思える。たとえば、死にそうな息子の体の胸の当たりに雲のようなものを感じたという体験談がそうだ。「Lエネルギー」は、どちらかといえば物理的な概念なのに対し、「霊」は生物的な概念である。どうも、古典的な「霊」という概念を避けて、より科学的な「エネルギー」という概念を著者は好んでいるようだ。情報とエネルギーは等価だと説いて、なぜかそれが病気治癒などと関係していると説く(典型的なオカルト代替療法である)。
 このような物理用語を転用したオカルト理論は、頭の余り良くない霊能者や占い師の著書には少ないが、多少知識のあるオカルト関係者の著書では冗長に論じられている傾向にあって、単なる字数の無駄になっている。本書は8割以上がこのような駄弁で占められている。そして、私が本当に聞きたい不可思議な事例の紹介はおざなりになっている。はっきり言えば、多くの科学者やインテリを説得させるのは事例報告であって、穴だらけで独断と偏見と用語の誤用に満ちたオカルト哲学やオカルト理論ではない。この点は残念だ。
 白血球にポリグラフをつけ、離れた被験者の心の状態が影響を与えたという実験や、遠隔テレバシー実験なども紹介されている。さらに『振動療法』などの「波動」系の諸理論も好んでいる。Lエネルギーと波動が具体的にどう関係するのか不明だが、なにやら同一視しているようだ。キルリアン写真のファントム・リーフの話も出てくる。100匹目のサルの話も出てくる。要は何でもありらしい。だが、複数の心臓が物理的な接触もないのに同期するという話は初めて聞いた。本当の話だろうか?(他の部分の引用を考えるとこの話も疑わしいが)ともかく何でもかんでも心臓理論と結びつけて雑多に引用している。
 例えば、心臓病になる一年前からセックスレスになる場合が多いという研究を引用している。愛の交換がないことがLエネルギーの夫婦間での交流を妨げ、それが心臓に悪影響を与えるのだと言わんばかりである。しかし、心臓が悪くなりつつあるから性欲も減退するのかもしれない。このような常識的な対抗仮説は無視である。
 ともあれ、心臓教とも言うべき、「エネルギー心臓学」などが存在するとは、マージナル・サイエンス(辺境科学)の裾野の広さと多様性を再認識させられた一冊である。(終わり)

西原克成『内臓が生みだす心』NHK出版
 明確に次のように書いてある。
「ドナーが仮に色情狂だったら移植された人も色情狂になります。」
 まるで色情霊のたたりのようだ。
 この本は、ちょっと前に偶然会った婆さんに、ほとんど脈絡なく勧められた本である。オカルトとは何の関係もない、ごく一般的なアカデミックな公開講座を都合により聞くことになった。その時、盛んにメモを取っているお婆さんの隣の席になったのだ。講演の休憩時間に普通の会話をした。なんでも普段出ている某私大の公開講座を休んで、この講演に来たとのことである。80を越えているそうだ。「元気ですね、勉強熱心ですね」と言ったら、ほとんど脈絡なくこの本を薦められた。オカルトとはまるで関係ない場面でのことだ。むろんこんな事は初めてである。これも小さなシンクロニティなのだろうと思い、この本を注文した。婆さんは薄幸そうだったが、名前は聞かなかった。この婆さんとは、もはや会うことはないだろう。
 本書は、口腔外科の専門医である西原博士が独自の世界観と免疫理論を展開した本である。主な業績は人工骨髄の実用化のようだが、当然、移植関連だから免疫異常にかかわってくる。ところで免疫学は生物学の一大分野である。「immunology」を初めとする専門の学術雑誌も数多い。ノーベル賞受賞者も数多くでている。しかし博士は、それらと全く異なった独自の免疫理論を展開している。現在の分子生物学全盛の免疫学とはずいぶん異なっている。エネルギーやら相対性理論も出てきて、何の関係もないようだ。どうも学生時代の免疫学の知識で止まっているみたいだ。
 西原博士の理論は、腸や肺などの内胚葉由来の臓器の重視である。これは消化器系だと考えればよい。脳神経系や皮膚などの外胚葉由来の臓器を全く軽視している。極端に言えば、脳ではなく腸に心が宿っていると思っているようだ。それは武士道の切腹を余り脈絡なく引用していることでもわかる。臓器移植だけなく帝王切開にも反対している。
 私がここで取り上げたのは、博士が脳死からの移植を反対していることである。博士は脳よりも内臓を重視している。題にあるとおり、「内臓が心を生み出す」のである。そこで臓器移植をすると、心が変わってしまうというのだ。前述のクレア・シルビアの『記憶する心臓』を盛んに引用している。
 ところで、本書では博士の奇妙な理論に基づいて病気が治癒した臨床例が多く書いてある。こんな事がどうしておこるのか
(1)偶然、思いこみの類である。
(2)現代医学とは全く異なる西原博士の理論が正しい。
(3)博士は実は霊媒であり、オカルトヒーラーである。
 どれなのだろう。
(終わり)

 有名なジャーナリスト立花隆は、かつて脳死の臓器移植に反対した。臓器移植はアメリカで十分すぎるほどの実績があるにもかかわらず、普遍的な説得力があり得ない日本人論やら、合意が十分できていないなどという理由を持ってきて反対したのである。彼は科学関係の取材を当時も今も精力的に行っていたので、私は非常に奇異に感じたものだ。この謎は、彼がオカルティストの一人であり、反対の真の理由は、日本人論なんぞではなく、霊魂の不整合に危惧を抱いたのだとすれば氷解する。ちなみに西原博士の本を教えてくれた婆さんも、臓器移植反対であった。