超心理学はここ100年間、ほとんど進歩しなかった。少しばかりの報告例を増やしたのみである。これはオカルト作家のコリン・ウィルソンが何度も嘆いていることだ。超心理学や魔術、オカルトのたぐいは、現代社会にほとんど実質的な成果を上げていない。
 それに対して科学技術は過去100年間、いや実際には500年間以上だが、大成功を納めた。日本からアメリカに行くのには「飛行機」を使うのであって、「魔法使いのほうき」で飛んでいくのではない。日本からアメリカに意志を伝えるのには「電話」や「ファックス」を使うのであって、「テレパシー」ではない。結核菌などでの死者を減らしたのは「抗性物質」であって、「祈祷士や魔術士の祈り」ではない。万事この調子である。飛行機、電話やファクス、抗生物質は、100年前にはなかった物であり、現代科学の枠組みでのみ、その原理が理解できる。こういう意味で、現代科学は完全でないにしろ、近似的に正しいことは疑いようがない。よって超心理学者は現在の科学の理論や原理、知見に対して、皮相的ではない理解をすべきである。超心理学の発見が真実なら、現代科学の延長上にこそ打ち立てられるべきだろう。私がこのブログを書いた目的も、これにある。


 超心理学者は、人間の脳と精神のあらたな働きを見いだすと意気込んでいた。少なくとも超能力の実験的な研究を始めたライン博士の時代はそうだった。しかし、半世紀以上経った今の現状といえば、100年前とほとんどかわらないのみならず、その間に進んだ脳関係の自然科学や工学の進歩に全く追随できないでいる。計算機関連の科学技術にも無関心だ。霊の計算能力や情報処理能力を考えたこともないようだ。人間の怨霊が猫に取りつけば、その猫は人間並みの思考計算能力を持つのだろうか。アインシュタインの霊を降霊した霊媒は、アインシュタイン並の知力をもつのだろうか。このような馬鹿げた問題にもほとんど答えていない。
 超心理学者たちは、自然科学よりも霊媒の妄言を信じてしまう。能力者と接しているうちに取り込まれるのが通例なのだ。


 心霊科学、超心理学の歴史とは、常に、今にもすごい進歩があって、今にも全科学者が超心理学の示す証拠に納得するだろうと期待しては100年間裏切られてきた歴史である。例えばNewsweek誌(日本版)は1991年5月2/9号のscience欄で「超能力を科学する」という記事を掲載している。その中の最後の一節(Newsweek 日本版, May 2 and 9th,1991.pp.70-76.)以下引用。


クックは電磁気エネルギーと健康の関連を探求するために、工学部と医学部で学士号を取得した。現在は、精神医学の勉強に励んでいる。
 超能力研究者は、こうした学際的な研究が異常現象の探求に弾みをつけると期待している。医学や神経化学、物理学の最先端分野の研究が進めば、互いの共通項が見つかるかもしれない。
 クックは言う。「一○年もすれば、いま『異常』とみなされている多くの事柄に別の名前がつけられ、当たり前のことと考えられるようになるだろう」
 そうなる可能性はある。それまでの間、超能力研究者は、精神と物質の関係の究明に情熱を燃やす限られた数の仲間同士で慰め合うしかないのだろう。ずっと昔から、超能力研究は一部の哲学者や賢人にしか理解できない領域だったのだ。現実とは「途方もない混乱状態」であり、人はそこに自らの認知の型をあてはめるのだ−−心理学者のウィリアム・ジェームズがそう語ったのは一○○年前のことだ。
 ジャーンたちは、東洋の瞑想的な発想と西洋の唯物的な発想が融合する兆しがようやくみえはじめたと考えている。だがそれが実現するには、確実な科学的証拠の蓄積によって、超能力の秘密が明らかにされる必要があるのだ。(引用終わり)



 この記事以来15年ぐらいたったが、未だに超心理学は科学界に認められていない。これが過去100年間続いてきた。
 最初は、100年以上も前に英国心霊協会が幽霊や霊媒の信憑性のある事例の報告や、詐欺の事例の報告を行った。つづいてアメリカのライン夫妻が、サイコロやゼナーカードなどをつかって、透視、テレバシー、念力、予知などの研究を行った。これは単純だから統計的に分析しやすいのである。結果はすべてあるというものだったが、再現性の低さや実験の不備が他の科学では考えられない細かさで指摘され、科学界の信用を得るまでには至らなかった。この欠陥を補おうと行われたのが、ドリーム・テレバシー実験である。


◎1998年8月×日 『ドリーム・テレパシー』、M・ウルマン S・クリップナー A・ヴォーン、工作舎(1987)
 バイクを直しに行ったついでに近くの古本屋で見つけ買ってきた。二週間ぐらいかけて読んだ。驚異でもなくハッキリもしていないドリーム・テレパシー実験の実例がだらだらと書いてあり、大変退屈、途中で嫌になった。30頁もあれば十分な内容を、500頁にも渡って書いてある。ドリーム・テレバシーとは睡眠状態のような低刺激下に被験者をおいておけば、よりはっきりとテレバシーの効果が期待できるだろうというものだ。そして結論も単純で、ドリーム・テレパシーもドリーム予知もドリーム透視もあるということだ。だが、なんともこじつけっぽい解釈が多くて説得力がいまいち足りない。誤った統計処理をしているのではないかという疑問もつきまといがち。
 最後は、夢の種々の学説に対する超心理学の寄与や、宇宙における人間の地位や役割について新しい見方をするということと、「超心理学を他の科学分野と統合すること」を試みていることを述べている。もちろん、この本が出版された1973年以来、この統合の試みはまったく成功していない。思うに、著者らは新興宗教の教祖のような傾向がある。彼らの「統合」というのは、他分野の人々が彼らの珍説を受け入れる方向での「統合」なのであって、彼らの発見を、今まで大成功を収めてきた通常分野の現代科学の中に積極的に位置づけようとする気が薄いのだ。もっと通常の科学を知るべきだろう。たとえば、テレパシーが「発見」あるいは「証明」されたとしても、音波や電磁波を使わない未知の伝達手段の「科学的な発見」に過ぎない可能性があるわけで、それがオカルトの教義によって、むりやり人間や宇宙の神秘的な側面に結びつける必要はないのだ。(この点で『オカルト流行の深層社会心理』(1998)ナカニシヤ出版の渡辺恒夫の担当部分は参考になる。)
 今日、退屈な『ドリーム・テレパシー』を完全に読み終わって感じたのは、超心理学者やオカルティストにSFや科学全般に詳しい人はほとんどいないという印象だ。とくに現在まで非常に大量に書かれたSFは、科学を前提としつつも、かなり多様な脱線と思考実験をしている。だから、本来なら通常科学と相性の悪い超心理学の研究者は、SFを参考にして当然なのだ。だが、そうではない。科学全般の知識にしても、超心理学者はほとんどないという印象を受ける。ジョン・リリー(後の機会に触れる科学者)にしても、自分の関係した分野だけは詳しいという感じを拭えない。オカルティストどもはもっと悪い。どうも、超心理学者やオカルティストは元来、反科学指向の欲求があるのではないだろうか。もしそうならば、自然科学との融和は絶望的だ。
(追記)テレンス・ハインズ『ハインズ博士「超科学」を切る』化学同人(1995)に、ドリーム・テレパシーの批判が載っている。


 しかし、このドリーム・テレパシーも再現性の悪さと、実験の手続きが煩雑で、資金と多くの協力者が必要なこともあって下火になった。やはり標準的な科学者を説得できなかったのだ。その後、これらの研究に加えて、超能力者ブーム、臨死体験の研究、生まれ変わりの研究などがなされた。日本や中国では気功の研究もなされたが、どれ一つ科学界を納得させられなかった。
 それに対して、懐疑派は常に厳しい批判を向けてきた。それは単に言論の上で批判するばかりではなかった。
 奇術師ジェームズ・ランディは、オカルトを目の敵にしていた。1980年代に奇術師ジェームズ・ランディの弟子たちが、「プロジェクト・アルファ」と称して、マクダネル超心理学研究所にかかわる超心理学者たちを完全に騙した事件がある。その結果、マクダネル超心理学研究所の活動は停止に追い込まれた。超常現象の存在を頭から信じていたため、彼らにまんまと騙され、コケにされた精神分析学者のシュワルツは「プロジェクト・アルファ」は超心理学の100年後退させてしまった」と憤慨したらしいが、それは間違いだ。なぜなら、超心理学者たちの宣伝とは裏腹に、20世紀に超心理学はほとんど進歩しなかったのだから。この「プロジェクト・アルファ」はアメリ超心理学会会長も務めたベロフの『超心理学史』には、ほとんど触れてない。二三語、これに指すと思われる言葉があるだけで、ほぼ黙殺である。
 超常現象があって欲しいという願望と予断が現代の多くのオカルト研究者をして、「怪しきは罰せず」的に怪しげな証拠をどんどん採用する傾向につながっている。奇術師のジェームズ・ランディの弟子達が、超心理学者たちを騙して超能力者になりすましたプロジェクト・アルファ事件は、超心理学者たちがいかに騙されやすく、かつ信じやすいかを明快に物語っている。また、この事件は超心理学者が被験者と実験手続きを統制したという報告がほとんど当てにならないことも多くの実例で示している。この事件に関してはパリティ2000年9月号に高橋昌一郎による紹介「科学と疑似科学」 Vol.15, pp.73-77.があるので参考にしてほしい。


 イギリスの高名なオカルト作家コリン・ウィルソンの考えは、多くのオカルティストや超心理学者の典型ともいえる願望を正直にしかも雄弁に語っているので、彼の意見をもう少し検討したい。
 彼が言うには、人生は無意味ではなく、実に有意義であり、世界は実に美しいことを多くの人間たち、特に犯罪者たちは知らない。この事実を人類ひとりひとりが認識し、「覚醒」することにより、人類はより高い段階に進化し、現在社会の問題を解決したユートピアができると想像している。つまりは、ティエール・ド・シャルダン流のオメガ点(オメガポイント)への進化といった定方向進化的な考えを持っているわけである。ウィルソンは人類がもう50年から100年もすれば、この新たな段階に達すると明言している。そして、その人類は超能力を駆使できる神のような存在になると思っている(註1)。このような見解は、臨死体験で有名な研究者ケネス・リングも持っていて、彼も臨死体験や宇宙人による誘拐体験は人類が、オメガ点に進化する前兆だと論じている。
 この人類の覚醒が必要だとの彼の思想は、よく考えれば数千年前に釈迦が人々に煩悩を滅殺するべきことを説いたのとまったく同様である。釈迦がいうには、煩悩を滅殺すれば、人々の煩悩からくる様々な争いや苦しみから解放され、人々は精神的に解放され、現状よりはましな社会ができるはずなのである。
 しかし、釈迦の説法が出てもなお人々は煩悩に囚われていたように、常識的に考えて大部分の人間は、コリン・ウィルソンの期待するように覚醒するはずはなかろう。ともあれ、このような希望から、彼には人間が単なる有機機械以上の何かであってほしいのである。そして超常現象の存在が、それを示していると考えるわけなのである。
(註1)たとえば、1992年4月12日と13日にNHK教育テレビで午後8時から8時45分の間に放送された立花隆コリン・ウィルソンとの対談の番組の中で語っている。



 次の本も上げておく。ベロフはアメリ超心理学会会長も務めた。


◎1998年10月末日 ジョン・ベロフ『超心理学史』
 その名のとおり、超心理学史の本。まあまあ面白かったが、著者のジョン・ベロフは心身二元論の支持者であるためか、霊媒や超能力者の奇跡に全体的に甘い印象を受けた。例えば19世紀の暗闇で数多くの物理的な奇跡を起こした物理霊媒が、世界人口が増えているので潜在能力者が増えているにもかかわらず、赤外線暗視装置、ビデオカメラなどが発達した現在、ほとんど消滅したことなど、詐欺を疑わせる行為に寛容なのだ。最後はここ百年、理論面での本質的発展がないことに鑑み、超常現象は元来捕らえにくい性質をもっているというバチェルダー効果で終わっている。
 そこで思ったのだが、もしこんな効果が本当なら、今後ますます、暗視装置、ビデオカメラなどに代表される測定機器が発達して、わずかな奇跡でも計測探知、そして記録できるようになるので、ますます超常現象が起こり難くなると言うことになるだろう。(そんな馬鹿な!)
 最後に訳者が著者のことを懐疑主義者と言っているが、どこに目をつけているのだろうか。完全な超常現象のビリーバーである。


 オカルトと一概に言っても、その主張は様々であり、どれだけ合理的・科学的な思考をするかのレベルに差がある。比較的にまともなものに、方法論的には実験心理学の手法を踏襲した超心理学がある。しかしながら、市井のオカルティストや霊媒は言うまでもないが、ほとんどの超心理学者も他の分野の自然科学の理論や、それらの合理性に対しては無知である。これは超心理学者だけの欠点とはいえない。
 しかしである。超心理学は科学界で必ずしも認知されていないのは周知の事実だが、それは実験や調査の不備よりも、他の自然科学の諸原理や事実との整合性が非常に、あるいは決定的に悪いと他の分野の自然科学者から思われているからである。他の分野の指導的な科学者に、超心理学の「理論」や「事実」ととるか、自分の良く知っている分野の原理や事実をとるかと二者択一として問われたなら、考えるまでもあるまい。

 超心理学者のジョン・ベロフは「西側では、超心理学は、主として、唯物論や還元主義を論駁したいとする願望によって推進されてきた」『超心理学史』と述べているが、これはコリン・ウィルソンなどのオカルティストたちにも顕著に当てはまる傾向である。しかしながら、唯物論や還元主義は、科学の重要な部分を占めている。これを否定したいということは、既存の自然科学の知識との整合性をあまり考えないという傾向になっている。このことについては、後に何度も触れたい。
 ここで、魔術やオカルトと超心理学を一緒にしたことに対して、反対もあろう。しかしながら、はっきり言えば、超心理学者とオカルティストは、明らかに連続している。少なくとも、私には超心理学者とそれを信じない科学者の断絶よりは、ずっと連続しているように見える。自称超心理学者には、客観性、検証可能性、自然科学の諸法則への信頼など、通常科学の常識への態度に幅広い変異があり、それを軽視する「研究者」は、記述の信用性を比較的に重視するオカルト作家のコリン・ウィルソンなどと大きくだぶるのである。