臨死体験とは、簡単に言えば、死にそうになって生き返ったら、あの世もどきを体験したという話である。1970年代から、アメリカで研究され始めた。レイモンド・ムーディー、キューブラー・ロス、ケネス・リングなどがいる。日本では有名なジャーナリスト立花隆が『臨死体験文芸春秋で詳細に書いているのが参考になる。ただし、この本や『証言・臨死体験』には特徴がある。それは彼がインタビューした人々の主張を、常識に照らしてマイルドにぼかしてあると言う点だ。彼がインタビューした面々の著書を読むと、ほぼ完全に霊魂の存在を信じている人々で、現在科学の枠に入りきらない主張をしているのである。これについては、また触れる。
 臨死体験の主立った研究者たちの見解によれば、共通点は大体次のようなものだ。

・ 人生を回顧する
幽体離脱を起こし、視点が変わる
・ トンネルのような暗いところを通る
・ 死者や神のごときものに会う。
・ 生死の境界らしき場面に行って、引き返す。

 これらは、どれもこれも超常現象として霊魂の存在を示す現象とは言い難い。しかし、たまに幽体離脱を起こしたときに、ベッドで寝ていては分からないことを知ることがある。中には過去や未来を見てくることもある。それが現在の科学では説明しがたいので、死後の霊魂の存在を示す超常現象の証拠とするのが、超心理学者とその取り巻きの間では一般的な見解である。
 しかし、そもそも臨死体験の一般性は大いに疑問なのだ。まず、死の間際まで言った人間、全員が見るわけではない。3割程度しかみないようだ。むろん、これは忘れているとすれば、言い訳が付く。オカルトではなく科学的な立場からいえば、体験者は死にそうなのだから、脳の短期・長期の記憶を司る部分が不調になって、記憶できないのかもしれない。
 それ以上に重要なのは内容の普遍性だ。現実の実例は、脳に血流が行かなくなったときに見る脳生理現象(たとえば幸福感、トンネルのような視野狭窄、大きな音など)以外の共通点はないように思える。日本の実例は、立花隆の『証言・臨死体験』を見れば良いが、多様なことに驚かされる。臨死体験の経験をつづった本は現在、山のように出ているが、読めば読むほど、共通したあの世がありそうもないことを実感させられる。これでは、霊能者たちの語るあの世に共通性が低いのも頷けるというものだ。
 幾つか紹介しよう。



○2000年7月●×日 元田隆晴著『病院の怖い話』
 医師である著者の周りで起きた医療関係のオカルト的な出来事の話。中にはあまり不思議ではなく、普通に説明できそうな話もある。信用性もいまいちあるのか亡いのか不明だし、解決のないすっきりしない話も多い。面白いのは臨死体験の例である。それは、臨死体験の本で紹介されている典型例とはまったく違っている。むしろ、臨死体験における個人の多様性を示しているように思われる。それは次のような体験だ。
 死んだら木になっていて、巨人に切り倒された時に蘇生した例
 鳥になって、虹色に羽ばたく鳥になった。上空に向かって上って行くと黒い影に来るなといわれると、全身が熱くなり奈落の底に落下すると蘇生した例
 幼児の時に母親に殺されかけた事件を思い出した例
 死ぬとニントク大魔人が現れ、お前はジンギスカンの生まれ変わりなのにふがいない。8人の子供を作るはずだったのに一人しか創っていないと怒られた例
(終わり)



 最後の実例は、余りに馬鹿馬鹿しいので、臨死体験の研究者が取り上げそうもない事例にあたる。臨死体験には共通性が多いというのは臨死体験を何が何でも超常現象にしたい超心理学たちの誇張であり、現実は個人差や文化差が決定的に大きいようだ。むしろ、どこに共通性があるのというのが実状に思える。
 次はケネス・リングである。彼はもともと心理学者だったが、人類のオメガポイント(ω点)への進化などに傾倒した結果、臨死体験の研究で超心理学者になった。オメガポイントとは、フランスの異端のカトリック神父、ティヤール・ド・シャルダンが考えたオカルト的な定方向進化であり、最終的な地点であるオメガポイント(ω点)に進化するという考えだ。ざっくり言えば、人類が神に進化すると考えれば良い。このオメガポイントには、結構支持者が多く、私が講義を聴いたE教授も支持していた。ケネス・リングは臨死関係の重要人物で興味が広く、宇宙人にさらわれた人間の研究もしている。


○1999年11月●×日 ケネス・リング著 丹波哲朗訳『霊界探訪』(1986)
 丹波哲朗が名目の訳者になっているので『霊界探訪』というとんでもない題名になっているが、本来はれっきとした心理系の超心理学者の臨死体験紹介本。
 だが、やはりケネス・リングは正規の経歴を持つ超心理学者の中ではオカルトに傾倒しており、この時点(原著版は1984年出版)で既にオメガ点への人類の進化だとかクンダリーニ覚醒だのと言っている。事例自体はありふれたものだが、他書に見られない重要な点がある。それは、臨死体験中に未来を見るフラッシュ・フォアワードの体験を、隠しもせず多く述べているところだ。このような事例は通常、秘匿される。
 未来の内容は個人的なこともあるが、世界的な大事件のこともあった。多くの証言をつきあわせると、1988年頃に人類の危機をもたらす地球の大異変を、多くの臨死体験者が「予言」していたのだ。リングは、これを極めて真剣に受け取った。そこで、本書でもって1988年の大世界異変を警告したのである。研究者として、一人の人間としては、真摯な態度だろう。
 もちろん、この予言はこの本の出版から5年も経たず、とてつもない外れであることが証明された。これに端的に現れているが、ケネス・リングの研究は軽率に体験者の言うことを信じる傾向にあり、それは彼の超能力質問紙調査にも現れていることだ。



 オカルトの世界では、あえて文字にする価値すらなく、第三者にとっては何の説得力もないような、個人的で些末な予言や透視はよく起こり、良く当たる。リングがこのノストラダムスのような馬鹿げた予言を真面目に取り上げた背景には、臨死体験者の些末な予言がよく当たったからだろう。些末なことが正しくなければ、大事件の予言が当たると思うはずはない。事実、リングは臨死体験後に超能力が得られると真剣に信じているし、その調査も行っている。
 しかし、予言による大事件はほとんど当たらないのである。とりわけ公開した場合はそうだ。妄言に取り込まれて恥をかくことがほとんどである。
 これに懲りて、リングは未来の大事件については語らなくなった。立花隆の『臨死体験』でのインタビューでは、未来を見るフラッシュ・フォアワードは存在するが、些末な事ばかりで、大事件はないと嘘まで付いている。そんなはずはない。1984年の段階で多くの証言が得られたのだから、その後も山のように集まって来ていただろう。
 臨死体験の大物の一人キューブラー・ロス博士は、霊界に取り込まれて完全に宣伝マンと化した。彼女は、臨死体験とその中での透視、催眠中の前世の因果、UFOの目撃、前世を見るための逆行催眠中での宇宙人による誘拐の思い出など、現代のオカルトの大部分を経験して、霊魂至上主義者になってしまった。たぶん、彼女自体がかなり強い霊媒なのだろう。
 宇宙人による誘拐は、20世紀後半以来のアメリカのオカルト界の特徴になっている。ケンス・リングの『オメガプロジェクト』では、臨死体験と宇宙人による誘拐体験が類似したものであることを例示しながら論じている。しかし、日本では悪霊などの古典的な心霊体験が主で、宇宙人による誘拐はほとんどない。このように極めて強い文化差が現存する。なぜだろう。
 最後に懐疑派の著作を上げておく。


○2001年1月×◆日 ポール・エドワーズ『輪廻体験−神話の検証』太田出版
 生まれ変わりやカルマ説について批判した著作。理屈っぽく、言いがかり的な所もあるが、いい本である。私が生まれ変わりの権威イアン・スティーブンソン、臨死体験の権威レイモンド・ムーディー、キューブラー・ロス、ケネス・リングの著作を読んで、感じた疑問について明確に指摘し、かつ暴露的な逸話などで批判しているのは、強い印象を受けた。例えば、スティーブンソンの生まれ変わりの事例は、交通の便の悪い発展途上国に集中していることに私は疑念を感じていたし、ムーディー、ロス、リングがオカルト的な言動や信念をもっているように感じていたが、それを具体例で指摘している。このような面は、立花隆の有名な『臨死体験』などでは故意に無視されている。『臨死体験』は事実の記載という点では良い本だが、全体的に研究者の言動や矛盾点についてのつっこみが甘いという感じを受けた。本書は、私のこの印象をちょうど補う、正反対の批判的な記述がしてある。とはいえ、生まれ変わりや霊魂説に対して、著者が論理的に批判する所は、もともと筋が通っていないオカルトの屁理屈に対して屁理屈で答えている感じで、余り説得力がない。むしろ、超心理学者たちの著作や言動、あるいは証拠に対する実証的な反論に説得力を感じた。また、霊に対する見解も、実は論者によってバラバラであり、統一された見解などないということも鋭く指摘してある。
 その以上に、補章が的確である点だ。例えば臨死体験の研究者は共通性を盛んに強調するが、私が実例を数多く読んだ印象ではむしろ個人差や文化差が極めて大きいと感じていた。また、臨死体験中に死者にだけでなく、生者にも会うことが多く、特に子供は生者ばかりに会うから、臨死体験が現実体験であるという説の論者の論理性に疑問をもっていたが、それを的確に指摘してあり、全く同感という感じである。また、スティーブンソンの生まれ変わりの研究では、前世の人間が死ぬ前に後生の人間が生まれている事例が無視できないほど存在するのだが、このことについてもちゃんと触れている。