ロバート・L・フォワードの『SFはどこまで実現するか』講談社(1989)は文字通り、SF的な発想がどこまで実現的かを論じた著作である。基本は現在知られている自然科学、とりわけ物理学に加えて、学会での少数意見もとりあげて論じている。この最後の章に霊魂の可能性について述べてある。脳から霊魂が造られ、それが死後も何らかの意味で存続する可能性について論じてある。当然、その霊魂と脳との相互作用について考察を巡らしており、また霊魂はよく知られている物質や場ではありえないことから、可能性として低いが、脳神経系が空間に直接影響を与えて、例えばその相対論的な曲がりとして何かを刻み込むかも知れないと行っている。
 このようなアイデアはSFで時々見られる。だがこれはせいぜい一般相対性理論の類似ないしは発展型に過ぎず、予知や透視などを引き起こすことは極めて難しいと思う。もっと革命的な物が必要である。
 そもそもフォワードが霊魂の可能性を否定はしないが、空間の歪みなどとした理由は、例には既存のよく知られている粒子、例えば電子や原子、電磁波、放射能などで出来ているとは到底思えない事による。これらは測定機器に簡単にかかるが、霊はそうではなかった。テレバシーも一時、電磁波による伝達ではないのかとソビエトの科学者が盛んに研究したが、そうとは考えられないというのが結論であった。
 元来、電磁波などの発散する波では、複雑な構造を持った疑似生命を構成するのは難しいのである。現在、理論的に存在が予測されているがまだ見つかっていない粒子、たとえばアクシオン、光子の超対称粒子であるフォーティーノ、ヒッグス粒子などは、今後発見されるかも知れないが、それらは有機物のように複雑な構造を持てるとは到底思えない。また、それらの粒子からできた構造物が、幽霊のように壁を突き抜け、半理知的な行動をとることが可能になるとは思えないのだ。要するに現在の物理学では幽霊を構成する粒子の居場所がないと言える。明治の昔、新興宗教太霊道は、気を伝える物質として霊子を仮定したが、そのような物は百年経った今も全く発見されていない。
 だいたい、既存の粒子や波では、ESPやテレパシー、念力などが説明しがたい。さらに予知は全く不可能である。
 一部のオカルトの一派は盛んに「波動」と言う言葉をつかっている。「エネルギー」と言う言葉も盛んに採用されている。たとえば精神エネルギーなどである。さらに4次元5次元あるいはもっと高次元の概念も道いられている。「タキオン」も使われる。しかし、これらは科学の用語の表面的な借用以上の意味はない。単に不思議な現象を説明するために、奇妙な述語を使ってラベルを貼っているだけだ。ただし、若干の意味もある。波動、エネルギーなどの概念は、実は古典力学に由来を持つ。高次元もたぶん数学や相対性理論、あるいは最近の超弦理論の受け売りからきている。つまり、本質的に物理学の発想の枠を越えていないのだ。越えているのは曲解による飛びに飛んだ論理によるだけだ。波動やエネルギー、高次元では「予知」現象はおこらない。
 もっと本質的な跳躍が必要である。それは量子力学多世界解釈と、幾つかの物理実験の再解釈、よく分からない現象としてほって何十年も放っておかれた理論の再検討から始めるべきだ。