小泉総理は晴れ男だと聞く。晴れ男、雨男という、このような話はよく聞く。実際に、少しネットの上で探すと、多くの話が出てくる。単なる運の良さの話から、超能力や霊能力に絡めての話などいろいろある。
 天候を変える。超能力を、これまでに知られてきた物理的な力、たとえば電磁力や重力に類似のものと考えた場合はありそうもない。重力や電磁力を発生する装置が仮にあったとしても、天候を変えるのは難しそうだからだ。また、天候は周辺一帯に関係する巨大な出来事なので、個人が軽々しく変えられると考えるのも奇妙だろう。このためか、20世紀の超心理学関係の文献では、これは、ほとんど取り上げられていない。異常現象を好意的に取り扱ってきた超心理学者たちの間でさえ、馬鹿馬鹿しく思えるのだろう。
 しかし、歴史の文献をみれば、天候を変えようと神に祈ったり、能力者に頼んだりすることは普通に行われていた。日本でも昔は干ばつでの不作が生活に直結した。そして雨乞いが重要だったので、極めて多く行われたようだ。たとえば、日蓮の奇跡の一つは雨乞いの成功である。三国志演義での最大の見せ場、赤壁の戦いで呉軍が魏軍に勝てたのは、一日だけ逆風が吹いたので火計を使えたからだ。そして、それは諸葛孔明が奇妙な呪術をもって吹かせたのである。日本での三国志本では、その日を天文の知識で知っていたことに「改竄し」ているが、本当は天候をも変える恐るべき呪術を持っていたことになっている。むろん三国志演義は後世の明代につくられた創作だから、本当のところは、孔明は呉軍で大した働きをしなかったのだろうが、明の小説家や大衆にとって、天候を変える呪術が大法力として信じられていたことが重要である。
 干害や排水のためのダム、用水路などが整備されてきた現在では天候の制御は重要ではなくなった。土木技術も発達して、効果の不明な「迷信的な」能力に頼る必要もなくなった。何より20世紀の科学とは、全く相容れそうにない。このため、重要視もされず、熱心に記録されなくなっただけのようだ。懐疑派から偶然や錯覚で片づけられ、スルーするのが簡単な事例だからである。
 それでは現在はなくなったのだろうか。事実、細かく探せば20世紀後半の話として天候を左右できる能力者の話が、つまらない逸話として数多く出てくる。たとえば、コリン・ウィルソンの本「超能力者」や「ミステリーズ」にテッド・オーウェンズという奇妙な能力者が出てくる。彼は幼い頃からテレバシーが会ったが、45歳の時に光るUFOをみて、天候を変える超能力を持ったという。彼の想像する宇宙人は小さいバッタである。
 前に取り上げた美輪明宏の本にも、お寺でのお話の途中で土砂降りが降ってきたので美輪が印を切ると突然、雨が止まったという話が出てくる。チベットへ映画の撮影に行ったとき、雨で困っていた。するとチベット僧が止めてやると言う。半信半疑で頼むと、実際に止んだという話など、探せばいくらでも出てくる。
 これは馬鹿げているのだろうか。私の意見は、遠隔透視などよりも説明が簡単だということだ。少なくとも、未来予知と天候のバタフライ効果が存在するなら、能力者の天候への影響はありえるのである。
 細かい理屈については後でゆっくりと説明するつもりだし、それがこのブログの目的である。