人間の大脳は左右に分かれている。そして、完全ではないにしろ、機能の分化が見られる。その間を左右の脳梁がつないでいるのだ。大きさはほぼ等しい。
 そして左脳に言語にかかわる部分が局在していることは、19世紀の末から知られていた。その部分に脳障害があると、言語が巧く使えないのである。それから百年経った現在、言語や計算、論理にかかわる部分は左脳に概ね局在していることは分かっている。多くの人は利き手も右手であり、これは脳で神経が交叉している関係で左脳支配である。利き手が右というのは、意識の優位半球が左であると言うことだ。つまり、言語も論理や計算も、主な意識も左脳にある。人間の知的な作用の代表的なことはすべて左半球で行われているのである。
 それに対して右脳の機能ははっきりしない。右脳に機能の障害が出ると、右脳支配である左半身に障害が出ることぐらいである。よく分からないので、左脳が余り扱わないこと、例えば感情だとか、想像力だとか、空間回転などを左脳より多く扱うと、弱い証拠で消去法的に想像されているにすぎない。右脳は無駄なのではないだろうか。脳の機能分化の研究を知ったとき、あまりに重要な機能が左半球に偏在するので、右脳は何をやっているかと思ったものだ。
 右脳が左脳は同じぐらいの神経細胞数を持っており、非常に多くの栄養と酸素を消費している。右脳も言語を扱えば、より早く流暢に言語を操れるだろうし、同じように論理を扱えば倍速で考えられるのではなかろうか。しかしそうなっていない。
 右脳にはシルヴィス溝がある。脳の研究によってノーベル賞を受賞したペンフィールドの研究によれば、脳のそこの部分を刺激すると臨死体験のような奇妙な体験をする部分である。例えば、ある部分を刺激すると意識が体外に離脱するように感じるという。また人生を走馬燈のように回顧する部分もある。神のようなものに会うこともある。素晴らしい音楽を聴くこともある。左脳にはこのような部分はない。
 このような事実から、臨死体験の研究者メルヴィン・モースは、このシルヴィウス溝を脳が臨死体験を引き起こす部分だと論じている。(メルヴィン・モース『光の世界へ』や立花隆の『臨死体験』を参照)ただ、モースは、脳の機能だけでは、臨死体験中に得た人間の知覚を超えた透視のような情報を説明できないと考えている。
 実はオカルト作家のコリン・ウィルソンは右脳が超能力の源である「X機能」を持っていると、一時考えていたようだ。彼の著作に分離脳の話が出てくるのはその名残とみられる。しかし、ウィルソンは、後年オカルト現象の超能力説を放棄して、霊魂説に鞍替えしてしまったので、分離脳での右脳の議論は、浮いてしまったのである。
 テレバシーや透視、念力などの「超能力」が、人体の機能にせよ、あるいは霊の力にせよ、脳科学との整合を考えるなら、それを発動したり制御したりする脳の機能は必要である。霊の場合でも、霊と連絡を取る神経回路が必要なのだ。なぜなら、霊との情報伝達をする部分が必要だからだ。
 最近なくなった有名な霊能者、宜保愛子は、「左目」を失明してから霊がはっきり見えるようになったという。左目は視神経の交叉の関係で半分だけだが右脳支配なのである。さらに、「右耳」から霊の声が聞こえるという(宜保愛子『霊能者として生まれて生きて』に書いてある)。右耳はとうぜん右脳支配だが、言語野は左脳にあるので、霊の言葉は右脳の聴覚野から左脳の言語野に伝わって解釈されるということだ。
 超能力、霊能力のたぐいがあるとするなら、右大脳の機能の一部が有力な候補だろう。
 他の候補は、デカルトが魂の宿る場所であるといった松果体である。これは両大脳に挟まれた機関であり、2億年ほど前までは第三の目であった。当時の両生類には第三の目たる松果体孔が顔面上部に開いていたのである。いまは脳の奥に引っ込んで、メラトニンなどのホルモンを生産している。しかし、手塚治虫の「三目が通る」のような漫画では、超能力を発揮する目として描かれている。また、Xファイルやオカルト映画でもこれは取り扱われる。
 もしかして、額のチャクラの発現に関係しているかもしれないが、余り大きな機関とはいえず、力不足だろう。